故むつ・ひろしさんのお言葉

作曲家のむつ・ひろしさんがお亡くなりになって
早いもので今年で3年になります。
グッドナイトベイビー(キングトーンズ)、
昭和枯れすすき(さくらと一郎)
夜が明けたら(朝川マキ)
八月の濡れた砂石川セリ)等々
どれも各アーティストを代表する楽曲ばかりの
偉大な作曲家ですが
(第47回日本レコード大賞特別功労賞
http://www.jacompa.or.jp/47th_awards/tokubetsukourousyou.html
も受賞されました。)、
私にとっては氏のもうひとつの顔、
ダイヤモンド音楽出版社長松村氏のイメージの方が強いです。
当時20代前半の生意気盛りだった私は
パンクというか、ロックというか、コミックバンドというか
とにかく訳の判らないバンドをやっておりました。
そして調子にのって演歌調のパンクロック
倶利伽羅紋紋(くりからもんもん)子守唄なる歌を作って
某音楽祭で優勝したりしておりました。
しかし演歌などにはまったく興味がなく
そのままその曲はほっぽり投げていたところ、
ある日、どこかでこの曲を聴きつけた松村(むつひろし)さんから
電話があり、この曲の詞を変えてレコーディングしたいと告げられました。
しかし、先にも書いたとおりの生意気盛りの私でしたから、
演歌なんて、、、と、ほとんど興味なげにしておりました。
当然、この人がグッドナイトベイビーを作った作曲家とは
夢にも思わず、かなり生意気なことを言っていた記憶があり、
今でも思い出すと恥ずかしい気がしてきます(汗)
それなのに松村(むつひろし)さんはこの曲のメロディの素晴らしさ、
を切々と情熱的に語ってくれました。
そして君ならもっと凄い曲が書けるはずだと何度も語ってくれました。
(正直、ほとんど冗談で作った演歌調の曲でしたから
まったくといってよいほど、思い入れがありませんでしたので
逆にとまどってしまいました、、、)
そんなこんなで、とうとう根負けした私は、ご自由にしてくださいとばかり
松村さんに曲をまるまる預けることにしてしまいました。
、、、、、、、、、、
そして音沙汰が無くなってから数年後、松村氏から連絡があり
作詞を宇井天平(評論家の小西良太郎)さんにお願いして、
♪裏町物語としてポリドールからリリースすると知らされました。
それは今までの演歌にはない、ロックフレーバーの演歌でした。
作者の私がとうにほっぽらかしてしまった曲を
氏は粘り強くずっと試行錯誤して素晴らしい作品に仕上げてくれたことに
当時、いたく感動した記憶があります。
そして松村さんがほとんどお世辞で言ったと思われる
『君ならもっと凄い曲が書けるはずだ』というお言葉が
その後数十年たっても芽の出ない私の創作の原動力になっているとは、、、

もっと凄い曲 書きたいなー!